クレオパトラとの休暇を終えたカエサルがパレスティナに赴き、「Veni, Vidi, Vici—来た、見た、勝った」と詩的な報告を行ったアンティオキアの戦いからカエサルが暗殺されるB.C.44年3月15日に暗殺されるまでを描いた文庫版第12巻。
王政に対して過剰なアレルギー体質を示すローマ市民を前に、動脈硬化状態の共和政から帝政への移行政策の妙技が見られる。
ポンペイウスを倒した後のカエサルにはもはや対等に戦える敵は無く、ただ旧体制を維持したいだけの元老院を相手に自分が思い描く帝政への改革の数々を尋常ならざる速度で断行してゆく姿は痛快。口先だけの何処かの政治家に教えてあげたいと思ったり。
何年か前にとあるテレビ番組で代議士にアンケートをとっていたが、その中の「愛読書」に「ローマ人の物語」が多く挙げられていたのを思い出した。彼らはカエサルを参考にするのか。あるいは、膨大な知識、希有な政治能力を持ちながらも先見性が無いためにカエサルの行く先が見えなかったキケロのように腐敗した旧体制にしがみつくのか。
どこかで読んだ文章に「天才は神から愛された人。秀才は神から愛される程の能力には恵まれなかったが、天才の能力を理解できる人。ゆえに不幸な人。凡才は秀才の能力は理解できるが、天才の能力までは理解できない人。」という言葉があった。しかし、カエサルだけは凡人にもその才能が理解できる程の天才ではなかったかと思う。
塩野七生:ローマ人の物語、新潮社、新潮文庫
ISBN:4101181624、2004.10.1、400円